2015年11月28日土曜日

AEON MALL Longbien 視察紀

どうも野良猫です。
ハノイも寒くなってきました。昨日今日と15度ほど。先週が25度前後だったので、1週間で10度下がった事になります。
半袖の季節からスーツの上着を着ていても寒く感じます。

私事ですが仕事で建設業をやっているのでベトナムの建物の構造について触れることがあります。
ハノイの冬は10度ほどの気温になる事もあれば、湿度が80%を超える事もあり、夏になれば気温が40度を超えることもあります。
それにも関わらず高層ビルやマンション以外は基本的にレンガ積みの建物です。
床(天井)だけは鉄筋を組みますが断熱材などの居住者の快適性を考えた建物がありません。
そのため、冬は足元から来る寒さが厳しく、湿度がきつい季節はスーツがカビるほどの湿気となります。夏は室内でも窓が無ければ建物ごと暖められます。

何についても遅れている感を感じざるを得ません。


余談が長くなりましたが、10月末にオープンしたAEON MALL LONG BIENの日記的なものを書きます。参考になるかはわかりませんが、東南アジアに日本のショッピングセンターができた。消費財で日系が苦戦をしている市場に特大の売り場ができたという視点で見ていただいたら嬉しいです。


まずハノイのショッピングセンターと小売店の所在地についてGoogle Mapに纏めました。
イオンモールが先行してオープンしたホーチミンの店舗についても纏めてあります。
ベトナムの足はバイクですから、バイクで自分が買い物に行くとしたら~と考えていただけたら嬉しいです。

https://www.google.com/maps/d/edit?mid=zyezax19mtIY.k8x6hW3uDPNk&usp=sharing


注目をして頂きたいのはハノイ市とホーチミン市の大きさの違いです。
ハノイは近くを流れるホン川から外周を囲む高速道路が中心街となります。
ホーチミンは国道1号線からBinh Hungまでの距離が参考となります。

ハノイは約20キロ。
ホーチミンは約10キロです。

経済面ではホーチミンが先行をしているのですが、都市の大きさではハノイが上回ります。
これは地価も影響を及ぼしているのですが都市圏の拡大はいまも続いています。

そんな中でのイオンモールロンビエンです。
ホーチミンのイオンは都市が小さいながらも、日本人街と呼ばれるレタントン通りから10キロほど。
ハノイの日本人街はキムマー通りにありますが、ここから10キロでロンビエン。

距離はほぼ同じですが都市の大きさが違えばベトナム人の生活圏も異なります。
またロンビエンという場所は川をはさんだ向こうに観光地の旧市街があり、少し足を伸ばせばタイ湖という富裕層と外国人が多く住むエリアがあります。
このエリアに住むベトナム人は102万人。
日本にこれだけの人々が住む未開の市場があるでしょうか。

更に近くにはEco Parkという外国人が土地を持つ事を特別に許されたレジデンスパークがあります。

つまりロンビエンというのは非常に将来性のある土地なんです。
イオンはこの場所にホーチミンの1号店・2号店を上回る1万6000平方メートルの売り場を持つ巨大店舗を作りました。 

http://matome.naver.jp/odai/2144655255003107001

さて、そんな場所にできたイオンモールロンビエンのオープン初日はどんな感じだったのでしょうか。
ブログの関係上、ドロップボックスに纏めましたので画像をご覧ください。
混雑振りが分かって頂けたら嬉しいです。

https://www.dropbox.com/sh/ceeh2yk3fu6kdh8/AADtcJqOPs_1kA-0_woe9_0ua?dl=0


ハノイに住んでいて感じるのはお店がいろいろな場所に点在をしているという事です。
スーパー・雑貨店・電気屋さん・ジム・語学学校・マッサージ店など、生活で必要なお店がばらばらな場所にあり、通うのが非常に面倒です。
しかしイオンは滞在型の店舗を目指しているだけあって上記のお店が全て揃っています。

しかもイオンが品質管理や売上でチェックを行っているので、質が悪ければテナントが交換されます。
ユーザーにとって嬉しい限りですね。



さてそんなイオンについて在住日本人の見込みはどうかと言うと・・・。
「年内はご祝儀相場で混雑するだろう。だけど一年で一番消費が増えるテト(旧正月)を超えれば閑散とするだろう。」です。厳しいですね。

イオンもホーチミンでの経験や予想を踏まえ、イベントでの集客を目指していると思われます。

NPでもシェアをさせていただきましたが下記記事のようなイベントを打っています。


ハノイのイオンに巨大ピカチュウの群れが出現、1000人が熱狂

https://newspicks.com/news/1270257?ref=search&keyword=%E3%83%94%E3%82%AB%E3%83%81%E3%83%A5%E3%82%A6&tab=news


ソフトパワーや小売市場で韓国・中国企業が独占状態にあるハノイ市場。
日本企業の質の高さや安心さを愛している一人の日本人としてイオンを皮切りに、どんどん日本のサービスや製品が手の届く場所に安価な値段で広がっていく事を心から願っております。

なお、イオン内の各店舗については下記記事が参考になるのでご参照ください。

「ベトナム情報ナビ」
http://vietnam-navi.info/article/aeon-mall-long-bien


社会主義国のベトナムでもハノイは特に難しい商習慣を持ちます。
しかし、悪い人は少なく、多くが既存の社会構造の中で強く純粋に生きている人々が多いです。
ネット上の情報だけでなく、少しでもベトナムに興味を持つ人が増え、ハノイがもっとよい街になる事を願って。




(閑散としたイオンの方がゆっくりできるから、実はそっちの方が個人的に嬉しいとか言えない。)





欄外編 本日のベトナム美女


お名前はNguyễn Ngọc Bích(グエン・ゴック・ビック)様。このお緑色の制服は軍服です。
参照元の記事内(2013年当時)では現在ハノイ人民警察1年目を過ごしているとあるので、おそらく18際です。
この学校を卒業した後、交差点のお立ち台で交通整理をするんだろうなーと想像するとハノイを好きになりそうになりませんか?





参照元
http://phungquangthanh.net/nu-hoc-vien-canh-sat-hoa-thanh-co-dau-kieu-diem.html



下記、コメントを受けての追記。


ベトナム女子に釘付けな男達へ。

かわええやろ?こんな子らが語尾に『ニャッ』とか言って会話しとんのやで?駐在で来た非モテ男がコロッと落ちるのもしゃーないよな。
せやけどベトナム人には気をつけぇよ。金が掛かるからな。
美人は古今東西変わらず経済力とわがままを許せる胆力や。


Wedenesday様

NP経由だと繋がらないのでURLコピーしてご覧くださいm(_ _)m

シミケン、山田プロ
テナント料はハノイも高いようです。
だから市内で既にやってる日系飲食店は牛角と大山というラーメン屋以外は出店してないません。路面店の方が儲かるらしいです。
ネイルサロンは既にローカルが結構あります。
美容院がやってるイメージです。
日系の美容院が既に進出しているので髪と爪をセットでケアしましょうー的な路線はいかがでしょうか。
立地についてはターゲットに寄ると思います。
kasakawaさんの仰るとおり、ハノイはホーチミンより分散して市場が存在します。
富裕層を狙うならホアンキエム(Ly Thai To通り周辺)、欧米系はタイ湖周辺、日系はハイバーチュンかキムマー周辺です。


teppei様

有難う御座います。(ΦωΦ)

tehahashi様

建物の構造は極めて脆弱です。
柱と床は鉄筋と鉄骨で組んであるのですが、壁はレンガを積んだだけです。
上からの圧力には強いのですが横揺れには為すすべ無しです。
それもあって住居は隣の家と密着していて、一つの塊として強化されています。
言葉では上手く説明できませんが、実際に来て見ていただけるとよく分かるかなと思います。
ちなみにロッテは震度5くらいには耐えられるそうですが、ホントかいなって思ってます。
開業早々にエレベーターで事故起こしてましたから。(HYUNDAI製)

北畠師匠

そういうのいいですよね。なんか心が暖かくなるんじゃー。

cottonnail様

女性から見てもかわいいってのは相当ですね。
ベトナム人女性ばかり見ていると日本の女性ってなんだかなーと思ってしまうのです。
(某女性プロのように強く自立した女性もいいけど・・という意味です)


kato様

パパママショップがシャッター街になる可能性は無きにしもあらずです。
ベトナム政府的にはそれも大事だけど、いまのベトナム経済の方が重要と考えているようです。
工業立国を目指してきましたが裾野産業の弱さから、輸入産業ばかり進化をしています。
技術力は投資でどうにかなる問題でもないので、なりふり考えていられなくなってきているようです。TPPもその延長戦にあると思います。
個人的にはタイのようにパパママショップが業態を変化させてモダンな小売店へ変化していくのがベターと思っています。

kasakawa様

ハノイの自然豊かな街づくりはパリを意識していると思います。
気候はどっちかというと中国+ロンドンな感じなのですが、目には優しいですよね。
汚染度については上海と同じレベルと聞いたことがあります。
その辺はやっぱり社会主義国。オープンになっているのかはわかりません。
この辺はこういう記事もあり気になっています。
http://www.gizmodo.jp/2015/11/post_1212121227.html


偽農民様

なんとなく行っちゃう場所でいいと思います。
韓国や中国よりも日本が安心。イオンに来ただけで少しお金持ちになった気分を味わえる。
北畠さんの写真活動に共通する部分がありますが、月に2万円ほどの給料で生活している素朴な人たちにとってそういう経験って人生を左右するものだと思うんです。



美女しか見ていない男達へ

ベトナム版ドラえもんの静香ちゃんを贈る。
ニヤニヤしてくれなはれ。


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2015年10月30日金曜日

貧困解決に向けて

どうも野良猫です。
日本では秋でしょうか。紅葉も終わり冬に向けていろいろと準備をされている事と思います。
ハノイはまだ夏です。11月に入ると大雨が降り続き、12月に入れば一気に気温が下がりロンドンに比喩される霧雨と10度前後の気温の季節へ突入します。
個人的にはこのハノイの冬が一番嫌いです。


さて、今回はベトナムの話題ではなく、いまNPで話題になっている一人親家庭の支援について書きたいと思います。

私個人について書くとこの分野については素人同然ですが、大学時代にタイの農村地域を支援する学生団体に所属し開発学やNGO論、百マス計算をタイでやる支援に関わっていました。
そんな素人の野良猫が話題のトピックに切り込みたいと思います。
NPにはNGOの方や国際機関に所属されている方、実際の支援の現場にいる方などがいるので専門的な議論は、そのような方々に託したいと思います。
私は誰もいない場所で、誰も叫ばない所でニャーと一声鳴くだけです。
それが世界を変えるきっかけとなると願いながら。

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まず論点整理です。
一人親支援の目的は何でしょうか。
一人親の貧困が問題だ、母子家庭の存在が問題だ、いろいろあると思います。
ただ突き詰めると一つの事が問題です。
「日本の貧困解決」がこの議論のあるべき問題意識です。

漠然としていて分からないでしょうか?
いいえ。私たちの生きるこの世界にはこの分野のノウハウが数十年に渡って存在しています。
それはNGOや国連、国際機関などがずーっとやってきた途上国支援の中で生み出されてきました。
障害を持つ人への支援。
いわゆるクズ親の支援。
DV家庭への支援。
孤児への支援。
学習支援。。。

既に多くの人が実地で研究し実績が存在します。
これらの経験は一国で行われた事ではなく、サブサハラ(サハラ砂漠以南の地域)や近場だと北部タイ・東北部タイでの支援など東南アジアの他国でも多く存在します。
日本の支援者はこういう研究を学び、日本人の支援へ活かして欲しいと思います。

素晴らしい方々の残されたモノの中で私は、支援のあり方について指摘をしたいと思います。
既にコメントで書いていますが、制限があったので、ここでまとめたいと思います。

ところで、最近は川端さんのタイカントリレポートが熱いですね。
是非読んで欲しいです。


連載の中でもコメントさせてもらいましたが、タイ文学の「インモラル・アンリアル」には売春宿での話を仏教的な価値観で表現しているモノもあり大変興味深いです。
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さて、本題に入っていきます。

貧困問題を考える上で重要なのが貧困の鎖と言われる悪循環です。
下記に記載します。

①親の貧困▶︎②子どもの教育への無理解▶︎③児童労働▶︎④子どもの教育機会の減少▶︎⑤子どもの低収入化▶︎⑥出産、①へ戻る・・・。以下ループ。

この鎖は世界の貧困の全てに共通します。
貧困解決の為には、この鎖の中の矢印を断ち切らなければなりません。

今回の一人親家庭への支援については①への支援と言えます。
一人親の貧困家庭への金銭支援を増額し、教育費用へ回してもらおうというのです。
これを「慈善型支援」と言います。
貧しい人に限って国が、社会保障として支援を行うのです。
これは決して新しい事ではなく大昔から存在する支援です。
例えば王族が貧しい人へ施しを行ったり、持てるモノが持たざるモノへ富の移転を行う事です。
聖書にもそういう話がありますね。2枚下着を持つ者は持たない者へ1枚あげなさいっていうやつです。

今回の騒動の中心にいる常見さんは、この上から目線に反感を持っているのだと思います。
そして同時にこの支援の形は人々の自尊心を傷付けかねませんし、自尊心の喪失を生み出し支援に依存をさせる可能性があります。
事実、アフリカでは支援に依存し自主的な活動ができなくなり、問題が悪化した事例が存在します。

貧困解決を目的にした支援としては悪手です。

これはあくまでも公的な社会保障として捉えるべきです。
年金や生活保護と同義のものです。


慈善型支援の次に生まれたのが「プロジェクト型支援」というものです。
これはお金だけだとどのように使われるか分からず貧困解決への効果が薄いという反省から生まれたものです。
いわば資本参加だけではなく経営にも参画する投資ファンドのようなものです。
貧困解決に繋がるモノやノウハウを提供しようというものです。

支援者のお金を使い、筆記具を買ったり教科書を用意したり、図書館を作ったり、学校を作ったりプロジェクトをもって支援しようというものです。

この支援への批判には有名なたとえ話があります。
それは「−00000000000000っp:」(猫が踏みました)

ごっほん。

それは「魚を釣る為には釣り竿をあげるのではなく、釣り竿の作り方を教えるべき」
というものです。

釣り竿をあげても壊れてしまったら直せないし、必要な人が増えたら更に釣り竿を買ってこなければならなくなります。
これでは被支援者の自立ができません。
これもダメでした。


プロジェクト支援の次が「参加型開発」です。

参加型開発の最も有名な事例がグラミン銀行です。
ノーベル経済学賞を受賞したムハマド・ユヌスの作った銀行です。
グラミン銀行の特徴はマイクロクレジットという、既存の銀行が普通口座も作らせなかった貧困家庭へ口座を用意し、小規模の融資を行い、経営のアドバイスまで行うという銀行業務をBOP(ピラミッドの底という意味。社会階層の最も下の人々という意味)と呼ばれる人々へ拡げた事にあります。

プロピッカーの慎さんが特集記事を書いてらっしゃったビジネスです。
記事はこちら。

慎さんも書いてらっしゃいますが、マイクロクレジットは日本でも銀行が行うべき、普通の銀行業務です。
しかし、利益に対してコストが高く優秀な銀行員を使うだけのメリットが無いのでしょう。
日本では地方の信用金庫などが行っています。


グラミン銀行がなぜ参加型開発なのか。
それは貧困解決の為のお金の支援を行うだけではなく、相互扶助組織を作ったり会計簿の作り方を教えたり、被支援者を支援全体へ巻き込んでいるからです。

これまでの慈善型支援やプロジェクト型支援では、支援者が主体で被支援者が客体でした。
しかし参加型開発では互いが主体であり、支援者は新たな気付きを得られたり、被支援者は主体性をもって自らの生活を豊かにする事ができます。

参加型開発では貧困解決の主目的のみならず人づくりも副目的として生まれるのです。
これがソーシャルビジネスと言われるビジネス形態としていまも持て囃されているモノの歴史的系譜となります。

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さて、NPにはマザーハウスの山崎さんがいらっしゃいます。
山崎さんがゼミ長をされていた竹中ゼミではトリクルダウン理論というのを学ばれていたはずです。
これはエリート教育をする事で、一部のエリートの利益が社会のピラミッドの中で下へ波及していくというトップダウンの理論です。
参加型開発はその対極に存在するボトムアップの考えです。
マザーハウスは貧困解決を主目的にされていない民間企業なので社会企業とは自称されていませんが、理念では貧困解決を目指されているかと思います。

マザーハウスの山口絵里子さんが有名になった時は田原総一郎が第二のホリエモンと言った事もありました。

しかし、マザーハウスとホリエモンの目指しているモノは全く異なっています。

私は一人親の家庭への金銭支援に色気を持つ事は辞めてマザーハウスが目指している世界のようにビジネスの力を以て貧困解決を実現する日本の社会起業家が出てくる事を願ってやみません。

以上。

野良猫でした。

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欄外編 本日のベトナム美女




本日の美女はĐoàn Thanh Hà様(ドアン・タイン・ハー)様。
1995年生まれの健康そうな美女です。
こんな美女に仕事しろって言われたらサビ残でも何でもしちゃいそうです。






























参照元:http://dantri.com.vn/nhip-song-tre/nu-sinh-xinh-dep-dh-lam-nghiep-co-hang-nghin-nguoi-theo-doi-tren-facebook-1418442418.htm





Zさんに向けた追記だにゃん。


まず大前提として支援というのは善意から始まるものです。
善意というのは、「かわいそう」とか「不条理だ」とか「正義に反する」っていう人の感情です。
ずーっと昔の中世の王女さまとかやお寺のお坊さんがやっていた社会貢献が、一般の人々に広がり、組織化し、いまでは企業や国家も行うべきだっていう議論へ変化してきたものです。

ですから、いまの価値観でそれぞれの支援のあり方を規定したり否定するのは、人間の歩んできた歴史を否定する事に他なりません。

例えば、公娼制度というものがあります。
法律の概念が存在しない時代から成立していた売春婦を国家によって管理をする制度です。
いまの価値観で言えば彼女達は性を搾取される犠牲者ですが、違う価値観で見る事もできます。
例えばタイのゴーゴーバーで働く女性や男性達。
彼ら彼女達は性を搾取される代わりに平均年収の10倍近くを稼ぎ出します。
そして、お客さんの中で相性の合う人と結婚をしたり、地元に戻ってビジネスを始めたりします。
(日本人で彼女達と結婚をする人もいます。)

もし売春が完全に禁止をされたら、こういう人たちはどこへ行くのでしょうか。

あるいは日本でも親が子どもを売っていた時代があります。
「からゆき」さんと呼ばれる女性達です。
彼女達は騙されて売られ、海外へ渡り現地の娼館で売春をしていました。
二束三文であろうと親はお金を得られ、また一般の日本人での海外進出は彼女達が最初だったと言われています。日本文化の伝道師ともいえる人々でした。もちろん悲劇として、ですが。


現代の価値観で考えればゴーゴーバーやからゆきさんも犠牲者であり、それを生み出した社会は悪です。
しかし、光の部分についても勇気を持って見つめないといけません。
闇があれば光もあります。


慈善型支援についても同じです。
これは慈善によって金銭の支援を行う為、実質的な貧困解決の効果は乏しいです。
言ってみれば街角の物乞いに小銭を恵むのと、描写としては同じです。
しかし支援の世界では彼らにお金をあげるのはタブーです。
依存をするからです。

ベトナムで面白い話があります。

ホアンキエムに物乞いがいて、旅行者が小銭をあげるのを私の上司が見ました。
ベトナムでは物乞いに対して喜捨をする事は徳を積むことになるのでベトナム人はよく小銭をあげています。
しかし、その上司に同行をしていたベトナム人は小銭をあげませんでした。
疑問に思った上司がなんでしないの?と聞くと、その物乞いは有名人らしく、物乞いをしていた場所の裏道に豪邸を持っているそうです。

物乞いがビジネスになっちゃっているわけです。

金銭支援は用途を絞り、監視と強制力を持って行われるべきです。
そしてそれができるのは国家か、ちゃんとした組織が必要です。

ですからこれはどちらかというと社会保障であるべきなのです。

貧困が社会を蝕む、というのは後付の理由です。
また、社会に一定の割合で貧困が生まれるのなら、なぜ日本は一億総中流になりえたのでしょうか。もちろんそこからも弾かれた人々がいるかもしれません。
しかし、一定の割合で必ず生まれるわけではありません。
経済状況によって左右されるもので常に収入は上がったり下がったりしているはずです。
ではなぜ彼らは収入が上がった時に貯金をするなりして、将来への備えをしなかったのでしょうか。

貧困者に対しての支援は、貧困が不平等であり、正しくないから行われるのです。
そして、これは宗教、あるいは文化的な理由が背景に存在します。

例えばキリスト教圏ではホームステイの文化があります。
これはユダヤの教えから来ています。
イスラム圏でも同じ文化があります。

日本にはホームステイの文化がありません。
これは宗教が異なるからです。

ホームステイの文化が無いから日本は遅れているのでしょうか。
違います。日本にはそういう文化が存在していないだけです。



日本の社会保障の分野がミクロの積み上げばっかりだというのは同意します。
ただ、日本からは上記のような慈善の価値観が失われて久しいというのを考慮する必要があると思います。(仏教的な徳を積むという文化も失われている)

理由は核家族化とか、地域のコミュニティが弱くなっている、とかです。
他者への興味・関心が失われてしまっているのです。
だから他者への支援を考える社会保障の分野に哲学といえる宗教が必要なのですが、個人的にここに社会主義が台頭してきている気がします。
これは危険です。

北欧の高福祉社会を目指すというのも、結局は自力で日本的な哲学を生み出せないから、他国の例を借りてきているだけです。

昔の日本にはほかの家庭が困っていたら助けていたのにも関わらず・・です。


支援の際に「かわいそう」と感じることを恥じる人々がいます。
そう感じない人々もいる中で、恥じを感じる時点で日本人の素敵な美徳なのですが、実は恥じる必要はありません。
人間というのは他者との比較で自己を認識します。

この比較が自分と他人の違いを生み出し、アイデンティティの形成へと繋がるわけです。
自分が持っているものを他人が持っていなければ優越感を感じるでしょうし、逆の場合では劣等感を感じるでしょう。これは自然な心理です。

ちなみにこのアイデンティティの形成によってナショナリズムやエスノセントリズムが生まれました。国家も他者との比較の延長線上に存在します。
詳しくはベネディクト・アンダーソンの「想像の共同体」か、エドワード・サイードの「オリエンタリズム」をお読みください。

オリエンタリズムは本来、善意に基づく行為でしたが、産業革命の点で秀でた欧米列強が自国の為に他者を見下し、幼稚なものとして認識し、植民地へと繋がっていきます。
この感覚はいまでも日本人の中で生きています。
そして克服するのは数十年、あるいは世紀を跨ぐかもしれません。

(エイズに対する偏見やLGBTへの偏見と同様)




またバラマキについても同様です。
現在はバラマキが批判されますが、それは日本国内でハード面の投資が一巡しているからです。
ただ高度経済期に作られた道路や橋、学校が老朽化しているので再投資が必要だと思います。

バラマキにも光と闇が存在します。

光の部分は先にも述べた一億総中流と呼べる均一な国づくりを実現できた事です。
東南アジアの新興国でも日本のように全国に道路や橋を作り、コンクリート製の学校を作る事ができれば、全国で均等に経済発展ができるかもしれません。

少なくとも四川大地震で起きたような学校倒壊で子どもが亡くなるというのは避けることができたかもしれません。
ミャンマーの大地震での支援ももっと迅速にできたかもしれません。


闇の部分は小沢一郎さんが良く知っていると思います。

少なくとも日本ほどどこでも車で行けて、国中の建物が震度7の地震に耐えられる国を私は知りません。

プロジェクト型支援はこういう点で、いま批判されているバラマキとは異なります。
仮に四川の学校をNGOがコンクリート製に立て替える事ができていれば、子ども達は死ななかったかもしれません。

ただ押し付けの支援にならないように、持続可能性を担保する議論があるのは事実です。
それは支援金があるからといって輸入品ばっかり使っていては支援先で持続できないので、現地の資材を使い、現地のノウハウで作ろうという考え方です。



最低賃金の引き上げは、物価の上昇を生み出すので意味無いと思います。

新しい仕事を生み出す事の方が重要です。
私はVC文化やエンジェルの文化、寄付の文化が根付く方がよっぽど実現可能性があると思います。

ドラッカーは世界の将来の行方として、小さなコミュニティの中心に企業やNPOが存在するようになるだろうと言っています。
Small and Medium Enterprise (SME)支援です。これは単に中小業支援ではなく、その枠をNPOや個人事業主まで広げた考え方です。

企業や組織に属さずとも、自活できる社会を作ることの方が理に適っていると思います。

また華僑的な生き方もいいかもしれません。(華人とは区別しています)

この辺りは同じ考えだと思います。


同じ考えな部分もありつつ、異なる考えの部分もある。
面白いですね。

私がZさんと一番違うのは国家がどれだけ干渉すべきか、という部分だと思います。
私は日本で失われた価値観を取り戻せば、国家の干渉は必要が無いと思っています。
欧米的な高福祉社会は、見返りとしていまの日本では考えられないレベルの重税が課されます。
またGDPもかなり落ちるでしょう。日本全体の経済的な豊かさは失われるでしょう。
それでもいいのなら、それでもいいのかもしれません。

私は、そんな事をするより市場や民間、社会そのものでフリーランスな生き方が許容されれば問題が無いと思っています。

そろそろ日本でしか生きていけない、あるいは会社組織にいなければどうなってしまうかわからないっていう思考の束縛から脱するべきなのかも、と思っています。


ちょっと追記の追記にゃん。

国家の欺瞞性は理解できるのですが、「公」と「私」の概念を維持する為には必要なんじゃないかなーっていうのが個人的なテーマです。
中華圏には無いっぽいんですよね。
少なくともベトナムには無さげです。それで毎日苦労しているんですよ。
仕事の責任の概念だったり、規律の面だったり。
そういう意味で日本ってやっぱりすごい国だなと痛感しています。

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2015年10月14日水曜日

国民国家論について

どうも野良猫です。本日2回目です。

前回の件については一件落着をしましたので、今回はちょっと真面目な事をつらつらと書いて参ります。
ちゃんと説明できるかについては、実は自信がありません。
なぜかというとすごく抽象的で、難しい話だからです。
でも、私達の日常に関わる事でアイデンティティに関わる事なので、とりあえず書いていきます。

なお、この分野に関わってくる人は社会科学の祖と呼ばれる人たちで全ての社会学系学問に影響を与えています。
それは経済学にしろ経営学にしろ同じですので、皆さんの日々の仕事のどこかで関わっているかもしれません。
今回も最後にベトナム美女を紹介しますので、そこまですっ飛ばして頂いてもかまいません。

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まず国民国家論についての定義を確認します。
社会学の論文ではまず定義を固めるのでそれに倣います。そうしないと言葉の捉え方で齟齬が出てきてしまうからです。

日本大百科全書より一部抜粋。参照先はこちら。

17世紀のイギリス市民革命、18世紀のフランス革命にみられるように、絶対王制に対する批判として君主に代わって国民が主権者の位置につくことにより形成された近代国家、あるいはその近代国家をモデルとして形成された国家を指す。
 国民国家は、国民の同質性を前提として統合された。国民という均質で固定された主体性の構築は、他方で雑種的でしかありえない言語や文化、またそこから逸脱する少数者に対して抑圧的、排他的な現実をつくり出した。社会科学や文化研究の領域では、どのような文化・政治的装置によって国民という均質的な「想像の共同体」が現れたのか、国民は歴史的な構築物であるにもかかわらず、なぜ言語や民族によって一定の過去、伝統、文化を保持するものとして自明視されたのか、なぜ国民の形成が人種主義や性差別、外国人恐怖、階級といった社会的な差別構造を伴うのかといった事柄を分析する作業が進められている。
1983年には、こうした国民国家論の嚆矢となる、ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』Imagined Communityが登場した。同書は、近代社会への移行期に登場した世俗語革命による近代小説の成立と出版資本主義によるその流通が国家語の成立に寄与し、言語と出版文化の共有を通じて国民という集団的なアイデンティティが形成されていく社会編成と機制を提示した。

ベネディクト・アンダーソンの想像の共同体は1983年発刊ですので、このナショナリズム研究っていうのは極めて新しい分野です。わたしより4歳しか違いません。
でも、扱われているのは17世紀~18世紀の学者や事例研究です。頭が痛くなります。

さて、このベネディクト・アンダーソンっていう人ですが経歴を確認します。
参照元はこちら。

ベネディクト アンダーソン
Benedict Anderson



国籍
アイルランド

専門
政治学者

肩書
コーネル大学名誉教授

生年月日
1936

出生地
中国 雲南省昆明

学歴
ケンブリッジ大学卒;コーネル大学大学院博士課程修了

学位
Ph.D.(コーネル大学)〔1967年〕

経歴
1965年コーネル大学大学院博士課程に在籍中、インドネシアで起きたクーデター未遂事件に興味を持ち、事件がスハルト将軍の陰謀であるとする秘密報告書をまとめる。’68年スハルト政権発足後、名前がブラックリストに載せられ、’72年以降インドネシアへの入国を禁じられる。以来、タイやフィリピンへと研究領域を広げ、東南アジアの地域研究を基点に、文化と政治に関する世界規模の比較研究を行う。2000年福岡アジア文化賞学術研究賞を受賞。著書に「想像の共同体」(1983年)、「比較の亡霊」「ヤシガラ椀の外へ」などがある。また、クーデター未遂事件で政治犯になり、長く軟禁されていたインドネシアの作家、プラムディア・アナンタ・トゥルとは、インドネシア語で文通を続けている。2000年9月来日。

受賞
福岡アジア文化賞(学術研究賞,第11回)〔2000年〕

NPでも人気のインドネシア研究の方です。
まぁ、いわゆるアジア研究者ですね。
ちょっとした自慢ですが、このアンダーソンに私の師匠は直接師事をされた事があるそうです。

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さて、本題に入っていきますが、一回の投稿で書ききれるほど薄い内容ではありません。
興味を持たれた方は、西川長夫著「国境の越え方」をお勧めします。読みやすいです。
http://www.amazon.co.jp/%E5%9B%BD%E5%A2%83%E3%81%AE%E8%B6%8A%E3%81%88%E6%96%B9%E2%80%95%E5%9B%BD%E6%B0%91%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E8%AB%96%E5%BA%8F%E8%AA%AC-%E5%B9%B3%E5%87%A1%E7%A4%BE%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC-%E8%A5%BF%E5%B7%9D-%E9%95%B7%E5%A4%AB/dp/4582763804


ここでは導入の部分を書きます。


先の定義にある「社会科学や文化研究の領域では、どのような文化・政治的装置によって国民という均質的な「想像の共同体」が現れたのか、国民は歴史的な構築物であるにもかかわらず、なぜ言語や民族によって一定の過去、伝統、文化を保持するものとして自明視されたのか」という所がポイントです。

想像の共同体というのはアンダーソンの著書の名前であり、国民国家そのものを指します。英語でいえばImagined Communityです。

まず結論から書くと国家や国民というものは人が作ったもので、自然発生したものではありません。
また、言語や人種、国境、人間世界に存在するものは全て誰かが作ったものです。

例えば木が目の前にあったとします。
言葉を持たない原始人が木を目にした時に「うほっ、うほうほ」と言ったとします。
いつかその「うほっ、うほうほ」という音は木を指すようになり、日本では”き”という音となり、木という概念になりました。

この過程をソシュールという言語学の先生は記号論でシンフィニとかシンフィニアンと呼びました。
ある概念を誰かが意味づけを行い、いつの間にか同じ存在となったという事です。
しかし自然に考えれ”き”そのものと、木は異なる存在です。
誰かが意味づけをするまでは、それは何かは分からない何かであり続けます。

研究者の中には製品のブランド化を研究した人もいました。
なぜルイ・ヴィトンは高級ブランドと認知されるのかという事です。
ここではマスメディア論が出てきます。
また、ソシュール先生の記号論も理解しておく必要があります。

ジェンダー論を研究する人もいます。
なぜ女性の性は消費されるのか、なぜ女性は着飾らなければならないのか。という問題意識です。

アンダーソンは国民という何かが意味づけされる過程を明らかにしました。
また、同時に国家とは何かを明らかにしました。

簡単にここで<公定ナショナリズム>と<民衆ナショナリズム>について書きたいと思います。
参照元は師匠の論文です。

これは活版印刷が登場した頃のヨーロッパに遡ります。
それまではラテン語で書かれた聖書のみがあり、ラテン語が読める人=アッパークラスの人でした。
また聖書の内容を人々に伝える事ができたので、アッパークラスの人はラテン語によって上位層にいることができました。

しかし、活版印刷によってラテン語が分からない中間層や下位層の人たちは自分達の言葉で書かれた聖書を読む事ができるようになりました。
そこで出てくるのはアッパークラスの人たちと庶民の交流でした。
これまでは上から下に教えてきた聖書が、対話によって理解され、概念の交流が起きるようになったのです。
この過程では聖書のみならず国家論や社会についての話し合い等々、広い交流があったのでしょう。ここで民衆によるナショナリズムが生まれたのでしょうか。
アンダーソンは「なんらかの根深いイデオロギー的衝動、ましてプロ ト・ナショナルな衝動など、まったく伏在していなかった」と言っています。

つまり民衆ナショナリズムというのは公定ナショナリズムに反する形のボトムアップ型のナショナリズムではないという事です。これは保守派の人たちが言う昔から国民(民族)が存在していたというのを否定しています。


また公定ナショナリズムというのが上からのナショナリズムと考える人もいますが、それも違うとアンダーソンは言っています。
ここからは参照元をそのまま引用します。

た しかに《公定ナショナリズム》には、「国家統制下の初等義務教育、国家の組織する宣伝活動、 国史の編纂、軍国主義」(Anderson 1991: 101)などの政策がともなわれている。ここから《公定ナ ショナリズム》は、支配者や、君主、官僚などによる上からの国民化のプロジェクトを意味して いるようにみえる。しかしながら、アンダーソンの力点は、《公定ナショナリズム》が、「1820年 代以来、ヨーロッパで増殖してきた民衆的国民運動の後に、それへの応戦として (強調原文)、発 展した」(Anderson 1991: 86)というところにあるようである。 これらのナショナリズムは、民衆の言語ナショナリズムの登場までは、歴史的に「ありえ ない」ことであった。なぜなら、公定ナショナリズムは、ほんとうは、民衆の想像の共同 体から排斥されるか、そのなかで周辺化されそうになった権力集団─それは主として、 王朝、貴族であったが、いついかなるところでもそうだったというわけではない─によ る応戦だったからである。(Anderson 1991: 109)』

つまり現代において議論されているような国民国家は権力によって構築されたものであるという言説は正しいのだが、それが昔から一貫していたものではなく、むしろ既得権益であった王朝の生き残り戦術のようなものだったということです。

また民衆によるナショナリズムもイデオロギーや国民としての自覚は持っておらず、超自然的なものではないということである。

ただ現実問題として、誰もが誰かが作ったナショナリズムの基で生きなければならず、その中でどのようなアイデンティティを持って生きていくのか、そういう議論がこのアンダーソン以後の研究となって参ります。

詳しくは国境の越え方から読んで頂くのがよいかと思います。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


欄外編 本日のベトナム美女


こちらの美女はVu Kim Chi様。
1991年生まれのお方です。400万ドンで会計の仕事をしていたが、独立し美容サロンを開いたお方です。
美の探究者らしくお美しいですね。

















参照元:
http://eva.vn/lam-dep/9x-xinh-dep-ha-noi-kiem-bon-tien-nho-nghe-noi-mi-c58a201955.html
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匿名ユーザーに思うこと

どうも野良猫です。

昨晩のKaikeiさんのアマピッカー100人紹介記事は面白かったですね。
NewsPicksといういま注目のメディアで一人のユーザーが、ちょっとしたアイデアであれだけの場を作れるというのがNPの魅力です。

これからも野良ピッカーとしていろいろと皆さんの知的好奇心を刺激できるようなコメントと記事を書いていければと改めて思った次第です。

さて、今回は昨日辺りに勃発した歴史記事の炎上でのあるユーザーへの反論記事です。
個人名やコメント内容は記載しません。
個人攻撃をしたく無い事と、感情ではなくロジックで議論をしたいからです。
ただ、どの記事でいざこざがあったのかは下記に記載致します。


「日本だけ、ずっと日本。この事の凄さを、学校では教えないんですよね・・・ News Picks記事」 

で、一番頭に来ているのが私が掲載したアマゾンのURLをアフィリエイトだと仰っている事です。
なので実際に普通のURLとアフィのURLを比較してみます。

【実際にNPに掲載したURL】

http://www.amazon.co.jp/%E5%AE%9A%E6%9C%AC-%E6%83%B3%E5%83%8F%E3%81%AE%E5%85%B1%E5%90%8C%E4%BD%93%E2%80%95%E3%83%8A%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0%E3%81%AE%E8%B5%B7%E6%BA%90%E3%81%A8%E6%B5%81%E8%A1%8C-%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E7%A7%91%E5%AD%A6%E3%81%AE%E5%86%92%E9%99%BA-2-4-%E3%83%99%E3%83%8D%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%B3/dp/4904701089/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1444790808&sr=8-1&keywords=%E6%83%B3%E5%83%8F%E3%81%AE%E5%85%B1%E5%90%8C%E4%BD%93


【同じサイトへのアフィURL】

:テキストベース
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4904701089/ref=as_li_qf_sp_asin_il_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4904701089&linkCode=as2&tag=nobufu11-22

:リンク化
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4904701089/ref=as_li_qf_sp_asin_il_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4904701089&linkCode=as2&tag=nobufu11-22

【アフィURLの短縮Ver】

http://amzn.to/1VRGQGx



このユーザーの言っているアフィリエイトの識別IDというのはアフィURLのボールド&アンダーラインされた箇所です。
アフィURLであればこれが出ます。

で、もう消してしまっているので確認はできませんが私が掲載したのは最初のURLで、当然識別IDも無ければ、アフィリエイトでもありません。
長い、短いで思い出して頂けると思います。

心当たりのある方は訂正をお願い致します。

こんなのは本当はNPに相応しくないのですが、最近多いので実証&検証をしなければ名誉に関わるので掲載いたしました。

匿名ユーザーはいいですよね。
こういうの気にしなくてもいいんですから。
事情があって匿名にしたいというのは理解できます。
ただ、何でも言える立場から実名ユーザーへの攻撃は場全体の信用を落とす行為であり、コンテンツの劣化を生み出します。
匿名ユーザーだからこそ、その辺り弁えていただきたいです。

以上。今回は美女無しで猫のみ!
本日中にこの騒動のきっかけとなった国民国家論について書きます。
アンダーソン以後の話とかです。そこでは美女載せますので、乞うご期待!
























追記 日本時間 12:48PM /10月14日

お勧めの本などを紹介する為にアマゾンのリンクを張る事は良いことだと思います。
ただ、NPからアマゾンへ誘導しアフィリエイトの手数料を取るというのはありえる話なので、上記の比較を参考にして頂ければ幸いです。
要注意は短縮URLです。
認識IDも出ず、他の短縮URLと区別できません。

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2015年9月30日水曜日

文化についての捉え方

野良猫です。ベトナムからこんにちは。
急な事務作業の傍ら、息抜きを兼ねてブログ更新致します。

昨日の猫食文化にはいろいろな反応があり書いた人間としては嬉しかったです。
読んで頂いて有難う御座いました。

さて、私は立命館アジア太平洋大学で言語文化(文化研究や思想研究など)と経営学を学んだ人間で、学問的には特殊な人間です。
ベトナムに来てから、現地企業に勤め始めてから、なお一層ビジネスの世界において文化に対する理解が必要だという事を感じております。

今回は猫食文化を題材に文化についての捉え方を学問的にざっくりとお伝えしたいと思います。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

まず猫食という事について2種類の反応が予想されます。
コメント欄でもはっきりとは表現されませんでしたが読み取ることができます。

1.拒絶
2.理解

猫というのは人間にとって最も近いパートナーであります。
いくら物理的に食べる事ができるといっても人間が人間を食べる事がカニバリズムとして忌避されているのと同様に、パートナーを食べるという事に生理的な拒否反応が出ることは自然な反応です。

また一方で、異国の文化であり何かしらの理由があり伝統的に食べているのだという消極的な肯定というのも世界の情報が簡単に手に入る現代においては自然な事です。

これらは、文化研究的には2つの主義思想に分けることができます。

1.拒絶:自文化中心主義(エスノセントリズム)
2.理解:文化相対主義(カルチュラルリラティビズム)


1.は自分の育ってきたエスニック集団(族群)、民族人種の文化を基準として他の文化を否定的に判断したり、低く評価したりする態度や思想のこと。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%83%8E%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0

2.は全ての文化は優劣で比べるものではなく対等であるとし、ある社会の文化の洗練さはその外部の社会の尺度によって測ることはできないという倫理的な態度と、自文化の枠組みを相対化した上で、異文化の枠組みをその文化的事象が執り行われる相手側の価値観を理解し、その文化、社会のありのままの姿をよりよく理解しようとする方法論的態度からなる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E5%8C%96%E7%9B%B8%E5%AF%BE%E4%B8%BB%E7%BE%A9


一見すれば2.の方が理想的で、NPのコメント欄もそのような傾向があったかと思います。
しかし、実はこの文化相対主義こそが、最終的には1.の自文化中心主義を生み出すという批判があります。また、2.が人種隔離政策を生み出したという批判もあります。

例えば、猫食文化を持つ人と猫食文化を持たない人が同じ社会で生活をしたとします。
互いに互いの文化を理解し、相対化した態度を取ったとします。
そうなると、最終的には棲み分けが発生し、「この町では猫を食べる事ができるが、この町では罰則が与えられます」という事になります。

そして猫食をする人が社会的多数派となれば、当然猫食ができる地域を増やす行動に動くでしょうから、猫食をしない人が隔離されるような事態になります。

実はこの文化相対主義こそがアパルトヘイトの原因ともいえる思想なんです。

参考にしたサイト
文化が違うから分ければよい」のか――アパルトヘイトと差異の承認の政治 亀井伸孝 / 文化人類学、アフリカ地域研究
http://synodos.jp/society/13008


ビジネスの現場に移って考えてみましょう。

ベトナムなどの新興国では賄賂が公然の秘密として横行しています。
元々は社会の英雄といえる公職者は低い給料で社会に奉公をしているのだから、市民はその御礼として心遣いをしましょう。という背景で生まれたと思われます。

上記の1.と2.で考えて見ましょう。

1.の場合は賄賂はビジネスの公平性と競争原理を侵害し健全な市場の形成に繋がらない為、罰則を与えるべきである。

2.の場合は賄賂も現地独自の商習慣であり文化の一種なのだから、郷に入れば郷に従いましょう。


こう考えると仮定します。

では、1.を母国のコンプライアンス上取る外資系企業と2.を取る現地企業はビジネス関係になる事ができるでしょうか。

答えは「非常に難しい」です。


結局はグローバル経済の勝ち組である1.が有利になり2.を取る勢力は駆逐されていきます。
そしてビジネス上はそれが正しい競争原理であるとされます。



少し抽象的な議論が続きますが、もう少しで終わります。


文化相対主義というのは個々の文化に優劣をつけず、それぞれの文化の良いところを合せより「多様」な文化を創っていこうという主義ですが、競争がある社会では優劣が付いてしまうんです。

「この文化は劣った文化であり、その文化を持つ国民は低俗な民だ。」
「この文化は優秀な文化であり、その文化を持つ国民は優秀な民である。」

第二次大戦で聞いたことがある言葉かと思います。

そうです。勝ち負けがはっきりするビジネスや国家同士の争いではこの考え方がはっきりと出てしまうんです。


これではいけないです。


では、どうすればいいのか。
ここで出てくるのが「普遍主義」と言われる考え方です。


普遍主義とは
http://www.weblio.jp/content/%E6%99%AE%E9%81%8D%E4%B8%BB%E7%BE%A9

物事には普遍的な原理があり、その普遍的なものを重視するべきである、という考え方を意味する表現。主に相対主義との対比言及される概念


例えば私欲の為に人を殺す事はイスラムでもキリスト教でも、仏教でも許されていません。
嘘をつく事はどのような社会でも良くない事とされます。
こういう普遍的な原理の中で中世から存在するのが法律という考え方です。


動物の愛護及び管理に関する法律(日本国)
動物が命あるものであることにかんがみ、何人も、動物をみだりに殺し、傷つけ、又は苦しめることのないようにするのみでなく、人と動物の共生に配慮しつつ、その習性を考慮して適正に取り扱うようにしなければならない。
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S48/S48HO105.html



 残念ながらベトナムにはこのような法律が存在せず、法律で縛る事ができません。
 猫を愛する一人の人間として法制化を求めたいと思います。
 ちなみに人間を殺す事は法律で禁止されているのに対して猫を殺す事は禁止されていない事は選別主義であり、普遍主義の反対の概念となります。(理論的飛躍かもしれません)


 
 ビジネスの世界であれば賄賂はその社会の商習慣であり、コンプライアンス上、受け取る事は許されないが金額や割合を透明化した場合、社内で分配をする場合、現地スタッフのみの受け取りの場合は許される、とすればベトナム法人上は問題が無いんですよね。

 (追記:ベトナムの刑法上、贈収賄は罰せられます。しかし、立証が大変難しく日系企業でも対応しきれない事があります。その為、このような表現となりました。)
  参考サイト:http://www.tmi.gr.jp/wp-content/uploads/2015/02/TMI_vol22.pdf 

 まぁ、それでも競争原理に反するので市場主義的には許されないのでしょうが。



 最後になりますが、こういう事を勉強できた母校には大変感謝をしています。
 文化研究をしながら、ビジネスエシックス(倫理)を学ぶ事でこういう視点が醸成されたと思います。
 

 以上、猫から見る文化についての捉え方でした。

 長文・駄文失礼致しました。



 欄外編 ベトナム美女


本日の美女はElly Tran(エリー・チャン) 様。
1987年8月26日生まれのお方です。
実はこの方、男性なら誰もが見た事があるあの写真の主
なのです。
その写真とはこちら


いやー天は二物を与えるとはこの事なのですね!














参照元 
http://vietbao.vn/vi/The-gioi-giai-tri/Dung-hinh-ngam-can-canh-ve-dep-cua-gai-mot-con-Elly-Tran-tai-Ha-Noi/2147515724/235/

Elly Tran Google+

https://plus.google.com/113002053878805863947




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2015年9月29日火曜日

ベトナムの猫食文化

ご無沙汰しております。野良猫です。

前回公言していたベトナムの小売市場についてはただいまリサーチ中で御座います。
しばしお待ちください。

さて、今回はベトナムの猫食文化について。
NPといえば”猫”ですから、最も相性の悪いテーマであります。
NP内の不良猫が集まるNyas paperから取材を受けた事もありますが、いまだ掲載されていない所をみると見送りにされたのでしょう。
それくらい理解が難しい文化であります。

ベトナム語で猫肉屋さんは”Thit meo”。
さぁ、Google画像検索をしてみましょう。

【激閲覧注意】
https://www.google.com/search?q=Thit+meo&es_sm=122&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0CAcQ_AUoAWoVChMIoMy3xvabyAIVJyGmCh1hEwh8&biw=1366&bih=643

一見普通の料理に見えますが猫です。
下の方はより過激です。


この猫食文化は中国から伝わった文化で、より中国文化の影響が根深い北部でよく見られる光景です。
ハノイ市内にも焼き豚ならぬ焼き犬や焼き猫が見られます。

私は食べた事はありませんし今後も一切興味がありませんが、こういう世界もあるという事ですね。
食べられないように我が家の猫様は完全室内外、外出の際は私が必ず抱っこをしていくようにしています。

ちなみに猫食文化はアジア圏だけではなく欧米にも存在している(いた)様です。

Wikipediaより引用。
(引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8C%AB%E9%A3%9F%E6%96%87%E5%8C%96

ヨーロッパ[編集]

スイスの農村ではネコがふつうに食される[11]タイムの小枝を付け合せに添える地域もある[11]ロイターは2004年1月に「スイス料理には仔犬や仔猫も含まれる。家庭での犬猫の消費は合法で、国内で毎年何頭のペットが屠殺されているか、把握することは難しい」と報じた[12]
スペインバスク地方バスク自治州)にもネコのシチューやネコのソースがけのレシピがある。ルイス・リポルはその著書Llibre de cuina mallorquina (『マヨルカ料理の書』)で、中世のネコの調理法を紹介している[要出典]
イタリアのフードライターのベッペ・ビガッツィは2010年2月の料理番組で、ネコのシチューは興味深いメニューで、郷里のトスカーナ州ヴァルダルノでは夕食の定番だと言った。彼はジョークだったと後に釈明したが、地元に猫食文化があることは否定しなかった。ジョークであったにせよなかったにせよ、彼の発言はメディアで広く批判され、最終的に降板させられた[13]
ネコは厳冬期や凶作の年、戦時に飢えを免れるものとして食される。中欧では二度の世界大戦中、「屋根のウサギ」と呼ばれた[14][15]
18世紀イギリスには、ネコを食らう興行師がいた[16]

捕鯨反対をしているどこぞの団体はこういう文化を攻撃して欲しいものです。いや、本当に。


最後になりましたが味はどうかというとそんなに美味しくないらしいです。。。

【ベトナム料理の旅 様より-ゲテモノ初体験編-】
http://vietnamblog.namamen.com/?eid=8


グルメな方々は一度お試しくださいな。



欄外編 ベトナム美女



今回の美女様はDong Nhi様(ドン・ニー)。
1988年10月31日生まれの歌手様です。
セクシーなバニーがとても似合ってらっしゃいますね。

ご本人とは関係ありませんが、ベトナムの女性は気合を入れるとこういう厚化粧になる傾向があります。
私はこれを"Face construction 顔面工事"と呼んでおります。
それくらい変わります。
いやー美女ほど信用できません。




ちなみにDong Nhi様の歌われている楽曲はこちら。

ĐÔNG NHI || Những Ca Khúc Hay Nhất Của Đông Nhi
https://www.youtube.com/watch?v=3AFXiU0R1hA


今回の参照元

スケッチプロ 様 今週のDep






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2015年9月4日金曜日

ビジネスの種は歴史にあり!

野良猫です。

ハノイは3日ほど前から雨が続いております。
元々、いまの時期は雨季ですのでやっとこさの雨といったところです。
ハノイが東南アジアではなく東アジアといわれる所以がこの雨です。

ハノイは湿地帯にあり近くを紅川(ホン川、Red River)が流れ、タイ湖、ホアンキエム湖など有名な湖もある水と緑が豊かな都市です。

しかし、ハノイから雨雲できるといわれるほどハノイ中心部のみが大雨が振るという事もしばしばあります。(本当に)
上述の紅川を渡るとさっきまでの大雨が嘘だったように晴れてたり。。

この湿度の高い気候が、レンガ造りの町の建物を蝕みます。
ハノイの築10年のビルは日本でいう築数十年レベルの劣化を見せ、すぐに価値が落ちたり、補修が必要になってきます。

また、町の上下水道のインフラが整っておらず大雨が降れば通りが川になったりします。
この辺りは東南アジア共通です。

本当はハノイの通りの写真をお見せできればいいのですが、雨続きなので今回は少し違った視点からアジアを見たいと思います。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
今回、ご紹介するのは”地図が作ったタイ”というトンチャイ・ウイニッチャクンというタイ人学者が書いた本です。
国民国家としてのタイはどのように形成され、制度化されていったのかというのを非常に簡潔に纏めています。

ナショナリズム研究大家のベネディクト・アンダーソンもこの本を参考に改訂版を出したといわれています。

この本で衝撃的だったのは地図によって、”こっちに住んでいる人はタイ人、あっちに住んでいる人はタイ人じゃない”という線引きがなされたのではという点です。

難しいアカデミックな議論はプロの方々にお任せしますが、タイ好きの私が更にアジアに嵌るきっかけをつくってくれた本でもあります。

ちなみに、このブログの第2弾ではベトナムの歴史に触れましたが東南アジアの国々は総じて若く、数十年、数百年前の歴史があまり学ばれていない事もあります。

例えばベトナムでは漢字で書かれた文献を普通のベトナム人は読めない。
お寺に書かれた漢字は日本と同じ漢字なので日本人は読めるが、ベトナム人は読めない。

日越国交樹立40周年の記念ドラマ「~The Partner 〜愛しき百年の友へ~」でも描かれていましたが、浅羽佐喜太郎とベトナムの英雄ファン・ボイ・チャウが漢字を紙に書き意思疎通をしていた話は有名です。


国家において言語がいかに大事で、言語が失われる事で国や社会にどのような影響があるのかは面白い研究テーマであり、ベトナムにおいては現実の問題だと思います。

同様の事が韓国でも起きているのかはコメントでいただけたら嬉しいです。


タイと地図の関係は在住日本人が多いタイでも知らない人は多いのではないでしょうか。
他の人とは違う視点で新興国を眺め、そこからビジネスに至ればそれこそ新興国に住む外国人の本望というものです。

だからこそ東南アジアの歴史を学び、長く続く日本と東南アジアの関係の深さに浸って欲しく思います。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ちなみに私は大学で経営学、言語学、文化研究を専攻しておりました。
卒論のテーマは「オリエンタリズムとアジア主義」でした。
就活が長引いたので卒論は書けませんでした。



欄外編
「本日のベトナム美女」



本日の美女はNguyen cao khi duyen(グエン・カオ・キー・ズェン)様。御歳18歳で御座います。Miss Vietnam 2015のグランプリであり、ベトナム全土を巻き込みグランプリに相応しくないと話題になったお方です。

ベトナム美女は有名ですが、美女は美女なりに美貌をどう使い成功するのかが難しいようです。













参考サイト

「TinMoi」様

http://www.tinmoi.vn/chuyen-kho-tin-ve-tan-hoa-hau-viet-nam-nguyen-cao-ky-duyen-011337522.html


ちなみに、本当か嘘かも分からないベトナム美女にまつわる四方山話を一つ。
ベトナム人美女モデルが大成するには2通りあるそうです。

1.堅実に学問を修め、外見ではなく内面で成功する。
2.売春をしスキャンダルによって知名度を上げる。

本当か嘘かわかりませんが日系フリーペーパーに出ていたモデルさんがインタビューで答えていました。
ズェン様がそういう事をしていたと言う訳ではありません。
しかし、ベトナムではあのキャスターはいくらで買える、あいつは捕まったと下世話な話がよく聞かれるのも事実であります・・・・。



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2015年9月2日水曜日

海外に出るという事 -失敗を許容する優しさ-

不良猫のブログ第三弾です。
前回は歴史から振り替える中国との関係と、ベトナムらしさをお伝えいたしました。

さて、今回はkobayashi junyaさんのコメントにお応えいたします。
ベトナム建国70周年企画(いま作った)の後編です。

ちなみに本日は建国70周年のイベント真っ最中です。
テレビでは広場で行われるパレードが映っています。
その姿はまさに共産主義を思わせるもので、ベトナムがそういう国だった事を思い起こさせてくれる良い機会です。

定番はこの曲らしいです。
正式なPVはこちら


そう伝説の深夜番組の「水曜どうでしょう」のベトナム南北横断カブの旅で通訳のニャンさんが歌ってくれた曲です。

ホーチミン師という歌です。
外からずっと聞こえてきます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
kobayashi さんからのコメントはこちら

就活失敗して海外という事だけど、もう少しこの選択が一般的になっても良いかなと思う。

もちろんビザの関係から現地の人よりも高いスキルが必要だし、言語の壁もあるので、日本で仕事ない奴が海外で通用するのか?と言うのは一般論としては正しい。

とはいえ日本独特の文化や風習に合う合わない、というのがある。会社の雰囲気に馴染めず、ダメ社員と思われてた人が、他社に行ったら活躍した!というのと同じように、日本で鳴かず飛ばずな人が、意外と活躍するケースもある。


はい、仰るとおりです。
耳が痛いコメントです。


他の人から見れば私は日本で通用しなかった人間です。
そして、たぶん日本的経営に合わない人間です。
News Pics編集部の佐々木さんが特集記事で語っていた好き嫌いだと言われてしまっても言い訳できません。そして、私も食べず嫌いはいけないとコメント致しました。

https://newspicks.com/news/1133703?ref=user_326132

でも、でも、一つ言わせてください。
日本人だからといってなぜ日本のやり方にこだわらないといけないのでしょうか。
世界は広いんです。日本のやり方を求めながら、日本人ではないからできない、困っている。
そういう人が世界にはいるのではないでしょうか。

特殊なスキルや高い能力は必要ない、日本人が普通に仕事をすれば出る成果。
それを求めている人たちもいるのではないでしょうか。


日本人同士で仕事をする時に必要なのは成果物ではなく、人格とよく言われますが、この人格という中に国籍というのも含まれています。
日本人がアポを取るのと、日本語の上手なベトナム人がアポを取るのとでは獲得件数が異なります。
日本人が来てくれる、それだけで時間を取ってくれる人も多いです。
能力とはあまり関係がありません。

ただ、人格が育っていない私みたいな若い世代は成果にも拘らなければなりません。
その際、異文化コミュニケーションと交渉術、業務の知識、最後は馬力が必要となってきます。
こういう事について人材紹介会社や経験者は「即戦力」と表現します。

この点については機会があれば書かせていただきます。

私は、「能力が無ければ世界に出てもニーズが無い。」ではなく、「世界に出る事で自分の能力(短所を含め)が何なのかを知る事ができる。」、そういう考え方を先駆者の日本人が持たなければならないと思います。

それが新興国で仕事をする人間が若い世代に対して持つべき優しさだと思います。
若者が海外に出るという事はそれだけでリスクです。
成功する確率よりも失敗をする確立の方が大きい。
成功をしても数年で帰ってしまうのでは成功とはいえない。

新興国は平均年齢が若く、自分達と同世代の人間が多くいます。
そういう社会において自分を含め、失敗をする優しさがあってもいいのではないでしょうか。

この辺りは起業と同じだと思います。

「20代の実務経験も少ない人間が起業しても成功なんてしない」
「そんなビジネスモデルは駄目だ」
「世の中の99%の人間がやらない。合理的に考えて不可能だ」

大事なのは一発目からの成功ではなく失敗を許容することです。
だから、若者は一回の失敗でくじけず、それを乗り越えて欲しいと思います。


若者が海外で成功するには失敗を許容する優しさと、成果に対する厳しいこだわり。
それが必要な事を理解して頂ければ幸いです。

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欄外編 「本日のベトナム美女」


こちらの美女のお名前はLinh Kett(リン・ケット)様。

ハノイの通りで"I'm a Vietnam. I love peace. If you like this, please hug me" (私はベトナム人です。平和な社会が大好きです。もしあなたも同じだったらハグをしてください)という横断幕を掲げ、フリーハグをされていたようです。
日本だとあまり珍しくない光景ですが、ほっぺたに国旗のペイント、シャツも国旗。


日本だと確実に右翼と言われますが、国が変わればとても新鮮で気持ちのいい愛国的行動です。
ベトナムは社会主義国です。
しかし、こういう美女の行動からもこの国が少しづつ変わろうとしているのが見えてきます。
この笑顔でハグしてくださいと言われれば何度でもしたくなりますね。

参照先 「vitalk.vn」 様

http://vitalk.vn/threads/nu-sinh-ha-noi-xinh-dep-va-clip-toi-yeu-hoa-binh-cuc-y-nghia.1270539/


2015/09/04
一部加筆、修正を致しました。
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