2015年9月30日水曜日

文化についての捉え方

野良猫です。ベトナムからこんにちは。
急な事務作業の傍ら、息抜きを兼ねてブログ更新致します。

昨日の猫食文化にはいろいろな反応があり書いた人間としては嬉しかったです。
読んで頂いて有難う御座いました。

さて、私は立命館アジア太平洋大学で言語文化(文化研究や思想研究など)と経営学を学んだ人間で、学問的には特殊な人間です。
ベトナムに来てから、現地企業に勤め始めてから、なお一層ビジネスの世界において文化に対する理解が必要だという事を感じております。

今回は猫食文化を題材に文化についての捉え方を学問的にざっくりとお伝えしたいと思います。

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まず猫食という事について2種類の反応が予想されます。
コメント欄でもはっきりとは表現されませんでしたが読み取ることができます。

1.拒絶
2.理解

猫というのは人間にとって最も近いパートナーであります。
いくら物理的に食べる事ができるといっても人間が人間を食べる事がカニバリズムとして忌避されているのと同様に、パートナーを食べるという事に生理的な拒否反応が出ることは自然な反応です。

また一方で、異国の文化であり何かしらの理由があり伝統的に食べているのだという消極的な肯定というのも世界の情報が簡単に手に入る現代においては自然な事です。

これらは、文化研究的には2つの主義思想に分けることができます。

1.拒絶:自文化中心主義(エスノセントリズム)
2.理解:文化相対主義(カルチュラルリラティビズム)


1.は自分の育ってきたエスニック集団(族群)、民族人種の文化を基準として他の文化を否定的に判断したり、低く評価したりする態度や思想のこと。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%83%8E%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0

2.は全ての文化は優劣で比べるものではなく対等であるとし、ある社会の文化の洗練さはその外部の社会の尺度によって測ることはできないという倫理的な態度と、自文化の枠組みを相対化した上で、異文化の枠組みをその文化的事象が執り行われる相手側の価値観を理解し、その文化、社会のありのままの姿をよりよく理解しようとする方法論的態度からなる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E5%8C%96%E7%9B%B8%E5%AF%BE%E4%B8%BB%E7%BE%A9


一見すれば2.の方が理想的で、NPのコメント欄もそのような傾向があったかと思います。
しかし、実はこの文化相対主義こそが、最終的には1.の自文化中心主義を生み出すという批判があります。また、2.が人種隔離政策を生み出したという批判もあります。

例えば、猫食文化を持つ人と猫食文化を持たない人が同じ社会で生活をしたとします。
互いに互いの文化を理解し、相対化した態度を取ったとします。
そうなると、最終的には棲み分けが発生し、「この町では猫を食べる事ができるが、この町では罰則が与えられます」という事になります。

そして猫食をする人が社会的多数派となれば、当然猫食ができる地域を増やす行動に動くでしょうから、猫食をしない人が隔離されるような事態になります。

実はこの文化相対主義こそがアパルトヘイトの原因ともいえる思想なんです。

参考にしたサイト
文化が違うから分ければよい」のか――アパルトヘイトと差異の承認の政治 亀井伸孝 / 文化人類学、アフリカ地域研究
http://synodos.jp/society/13008


ビジネスの現場に移って考えてみましょう。

ベトナムなどの新興国では賄賂が公然の秘密として横行しています。
元々は社会の英雄といえる公職者は低い給料で社会に奉公をしているのだから、市民はその御礼として心遣いをしましょう。という背景で生まれたと思われます。

上記の1.と2.で考えて見ましょう。

1.の場合は賄賂はビジネスの公平性と競争原理を侵害し健全な市場の形成に繋がらない為、罰則を与えるべきである。

2.の場合は賄賂も現地独自の商習慣であり文化の一種なのだから、郷に入れば郷に従いましょう。


こう考えると仮定します。

では、1.を母国のコンプライアンス上取る外資系企業と2.を取る現地企業はビジネス関係になる事ができるでしょうか。

答えは「非常に難しい」です。


結局はグローバル経済の勝ち組である1.が有利になり2.を取る勢力は駆逐されていきます。
そしてビジネス上はそれが正しい競争原理であるとされます。



少し抽象的な議論が続きますが、もう少しで終わります。


文化相対主義というのは個々の文化に優劣をつけず、それぞれの文化の良いところを合せより「多様」な文化を創っていこうという主義ですが、競争がある社会では優劣が付いてしまうんです。

「この文化は劣った文化であり、その文化を持つ国民は低俗な民だ。」
「この文化は優秀な文化であり、その文化を持つ国民は優秀な民である。」

第二次大戦で聞いたことがある言葉かと思います。

そうです。勝ち負けがはっきりするビジネスや国家同士の争いではこの考え方がはっきりと出てしまうんです。


これではいけないです。


では、どうすればいいのか。
ここで出てくるのが「普遍主義」と言われる考え方です。


普遍主義とは
http://www.weblio.jp/content/%E6%99%AE%E9%81%8D%E4%B8%BB%E7%BE%A9

物事には普遍的な原理があり、その普遍的なものを重視するべきである、という考え方を意味する表現。主に相対主義との対比言及される概念


例えば私欲の為に人を殺す事はイスラムでもキリスト教でも、仏教でも許されていません。
嘘をつく事はどのような社会でも良くない事とされます。
こういう普遍的な原理の中で中世から存在するのが法律という考え方です。


動物の愛護及び管理に関する法律(日本国)
動物が命あるものであることにかんがみ、何人も、動物をみだりに殺し、傷つけ、又は苦しめることのないようにするのみでなく、人と動物の共生に配慮しつつ、その習性を考慮して適正に取り扱うようにしなければならない。
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S48/S48HO105.html



 残念ながらベトナムにはこのような法律が存在せず、法律で縛る事ができません。
 猫を愛する一人の人間として法制化を求めたいと思います。
 ちなみに人間を殺す事は法律で禁止されているのに対して猫を殺す事は禁止されていない事は選別主義であり、普遍主義の反対の概念となります。(理論的飛躍かもしれません)


 
 ビジネスの世界であれば賄賂はその社会の商習慣であり、コンプライアンス上、受け取る事は許されないが金額や割合を透明化した場合、社内で分配をする場合、現地スタッフのみの受け取りの場合は許される、とすればベトナム法人上は問題が無いんですよね。

 (追記:ベトナムの刑法上、贈収賄は罰せられます。しかし、立証が大変難しく日系企業でも対応しきれない事があります。その為、このような表現となりました。)
  参考サイト:http://www.tmi.gr.jp/wp-content/uploads/2015/02/TMI_vol22.pdf 

 まぁ、それでも競争原理に反するので市場主義的には許されないのでしょうが。



 最後になりますが、こういう事を勉強できた母校には大変感謝をしています。
 文化研究をしながら、ビジネスエシックス(倫理)を学ぶ事でこういう視点が醸成されたと思います。
 

 以上、猫から見る文化についての捉え方でした。

 長文・駄文失礼致しました。



 欄外編 ベトナム美女


本日の美女はElly Tran(エリー・チャン) 様。
1987年8月26日生まれのお方です。
実はこの方、男性なら誰もが見た事があるあの写真の主
なのです。
その写真とはこちら


いやー天は二物を与えるとはこの事なのですね!














参照元 
http://vietbao.vn/vi/The-gioi-giai-tri/Dung-hinh-ngam-can-canh-ve-dep-cua-gai-mot-con-Elly-Tran-tai-Ha-Noi/2147515724/235/

Elly Tran Google+

https://plus.google.com/113002053878805863947




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2015年9月29日火曜日

ベトナムの猫食文化

ご無沙汰しております。野良猫です。

前回公言していたベトナムの小売市場についてはただいまリサーチ中で御座います。
しばしお待ちください。

さて、今回はベトナムの猫食文化について。
NPといえば”猫”ですから、最も相性の悪いテーマであります。
NP内の不良猫が集まるNyas paperから取材を受けた事もありますが、いまだ掲載されていない所をみると見送りにされたのでしょう。
それくらい理解が難しい文化であります。

ベトナム語で猫肉屋さんは”Thit meo”。
さぁ、Google画像検索をしてみましょう。

【激閲覧注意】
https://www.google.com/search?q=Thit+meo&es_sm=122&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0CAcQ_AUoAWoVChMIoMy3xvabyAIVJyGmCh1hEwh8&biw=1366&bih=643

一見普通の料理に見えますが猫です。
下の方はより過激です。


この猫食文化は中国から伝わった文化で、より中国文化の影響が根深い北部でよく見られる光景です。
ハノイ市内にも焼き豚ならぬ焼き犬や焼き猫が見られます。

私は食べた事はありませんし今後も一切興味がありませんが、こういう世界もあるという事ですね。
食べられないように我が家の猫様は完全室内外、外出の際は私が必ず抱っこをしていくようにしています。

ちなみに猫食文化はアジア圏だけではなく欧米にも存在している(いた)様です。

Wikipediaより引用。
(引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8C%AB%E9%A3%9F%E6%96%87%E5%8C%96

ヨーロッパ[編集]

スイスの農村ではネコがふつうに食される[11]タイムの小枝を付け合せに添える地域もある[11]ロイターは2004年1月に「スイス料理には仔犬や仔猫も含まれる。家庭での犬猫の消費は合法で、国内で毎年何頭のペットが屠殺されているか、把握することは難しい」と報じた[12]
スペインバスク地方バスク自治州)にもネコのシチューやネコのソースがけのレシピがある。ルイス・リポルはその著書Llibre de cuina mallorquina (『マヨルカ料理の書』)で、中世のネコの調理法を紹介している[要出典]
イタリアのフードライターのベッペ・ビガッツィは2010年2月の料理番組で、ネコのシチューは興味深いメニューで、郷里のトスカーナ州ヴァルダルノでは夕食の定番だと言った。彼はジョークだったと後に釈明したが、地元に猫食文化があることは否定しなかった。ジョークであったにせよなかったにせよ、彼の発言はメディアで広く批判され、最終的に降板させられた[13]
ネコは厳冬期や凶作の年、戦時に飢えを免れるものとして食される。中欧では二度の世界大戦中、「屋根のウサギ」と呼ばれた[14][15]
18世紀イギリスには、ネコを食らう興行師がいた[16]

捕鯨反対をしているどこぞの団体はこういう文化を攻撃して欲しいものです。いや、本当に。


最後になりましたが味はどうかというとそんなに美味しくないらしいです。。。

【ベトナム料理の旅 様より-ゲテモノ初体験編-】
http://vietnamblog.namamen.com/?eid=8


グルメな方々は一度お試しくださいな。



欄外編 ベトナム美女



今回の美女様はDong Nhi様(ドン・ニー)。
1988年10月31日生まれの歌手様です。
セクシーなバニーがとても似合ってらっしゃいますね。

ご本人とは関係ありませんが、ベトナムの女性は気合を入れるとこういう厚化粧になる傾向があります。
私はこれを"Face construction 顔面工事"と呼んでおります。
それくらい変わります。
いやー美女ほど信用できません。




ちなみにDong Nhi様の歌われている楽曲はこちら。

ĐÔNG NHI || Những Ca Khúc Hay Nhất Của Đông Nhi
https://www.youtube.com/watch?v=3AFXiU0R1hA


今回の参照元

スケッチプロ 様 今週のDep






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2015年9月4日金曜日

ビジネスの種は歴史にあり!

野良猫です。

ハノイは3日ほど前から雨が続いております。
元々、いまの時期は雨季ですのでやっとこさの雨といったところです。
ハノイが東南アジアではなく東アジアといわれる所以がこの雨です。

ハノイは湿地帯にあり近くを紅川(ホン川、Red River)が流れ、タイ湖、ホアンキエム湖など有名な湖もある水と緑が豊かな都市です。

しかし、ハノイから雨雲できるといわれるほどハノイ中心部のみが大雨が振るという事もしばしばあります。(本当に)
上述の紅川を渡るとさっきまでの大雨が嘘だったように晴れてたり。。

この湿度の高い気候が、レンガ造りの町の建物を蝕みます。
ハノイの築10年のビルは日本でいう築数十年レベルの劣化を見せ、すぐに価値が落ちたり、補修が必要になってきます。

また、町の上下水道のインフラが整っておらず大雨が降れば通りが川になったりします。
この辺りは東南アジア共通です。

本当はハノイの通りの写真をお見せできればいいのですが、雨続きなので今回は少し違った視点からアジアを見たいと思います。


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今回、ご紹介するのは”地図が作ったタイ”というトンチャイ・ウイニッチャクンというタイ人学者が書いた本です。
国民国家としてのタイはどのように形成され、制度化されていったのかというのを非常に簡潔に纏めています。

ナショナリズム研究大家のベネディクト・アンダーソンもこの本を参考に改訂版を出したといわれています。

この本で衝撃的だったのは地図によって、”こっちに住んでいる人はタイ人、あっちに住んでいる人はタイ人じゃない”という線引きがなされたのではという点です。

難しいアカデミックな議論はプロの方々にお任せしますが、タイ好きの私が更にアジアに嵌るきっかけをつくってくれた本でもあります。

ちなみに、このブログの第2弾ではベトナムの歴史に触れましたが東南アジアの国々は総じて若く、数十年、数百年前の歴史があまり学ばれていない事もあります。

例えばベトナムでは漢字で書かれた文献を普通のベトナム人は読めない。
お寺に書かれた漢字は日本と同じ漢字なので日本人は読めるが、ベトナム人は読めない。

日越国交樹立40周年の記念ドラマ「~The Partner 〜愛しき百年の友へ~」でも描かれていましたが、浅羽佐喜太郎とベトナムの英雄ファン・ボイ・チャウが漢字を紙に書き意思疎通をしていた話は有名です。


国家において言語がいかに大事で、言語が失われる事で国や社会にどのような影響があるのかは面白い研究テーマであり、ベトナムにおいては現実の問題だと思います。

同様の事が韓国でも起きているのかはコメントでいただけたら嬉しいです。


タイと地図の関係は在住日本人が多いタイでも知らない人は多いのではないでしょうか。
他の人とは違う視点で新興国を眺め、そこからビジネスに至ればそれこそ新興国に住む外国人の本望というものです。

だからこそ東南アジアの歴史を学び、長く続く日本と東南アジアの関係の深さに浸って欲しく思います。

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ちなみに私は大学で経営学、言語学、文化研究を専攻しておりました。
卒論のテーマは「オリエンタリズムとアジア主義」でした。
就活が長引いたので卒論は書けませんでした。



欄外編
「本日のベトナム美女」



本日の美女はNguyen cao khi duyen(グエン・カオ・キー・ズェン)様。御歳18歳で御座います。Miss Vietnam 2015のグランプリであり、ベトナム全土を巻き込みグランプリに相応しくないと話題になったお方です。

ベトナム美女は有名ですが、美女は美女なりに美貌をどう使い成功するのかが難しいようです。













参考サイト

「TinMoi」様

http://www.tinmoi.vn/chuyen-kho-tin-ve-tan-hoa-hau-viet-nam-nguyen-cao-ky-duyen-011337522.html


ちなみに、本当か嘘かも分からないベトナム美女にまつわる四方山話を一つ。
ベトナム人美女モデルが大成するには2通りあるそうです。

1.堅実に学問を修め、外見ではなく内面で成功する。
2.売春をしスキャンダルによって知名度を上げる。

本当か嘘かわかりませんが日系フリーペーパーに出ていたモデルさんがインタビューで答えていました。
ズェン様がそういう事をしていたと言う訳ではありません。
しかし、ベトナムではあのキャスターはいくらで買える、あいつは捕まったと下世話な話がよく聞かれるのも事実であります・・・・。



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2015年9月2日水曜日

海外に出るという事 -失敗を許容する優しさ-

不良猫のブログ第三弾です。
前回は歴史から振り替える中国との関係と、ベトナムらしさをお伝えいたしました。

さて、今回はkobayashi junyaさんのコメントにお応えいたします。
ベトナム建国70周年企画(いま作った)の後編です。

ちなみに本日は建国70周年のイベント真っ最中です。
テレビでは広場で行われるパレードが映っています。
その姿はまさに共産主義を思わせるもので、ベトナムがそういう国だった事を思い起こさせてくれる良い機会です。

定番はこの曲らしいです。
正式なPVはこちら


そう伝説の深夜番組の「水曜どうでしょう」のベトナム南北横断カブの旅で通訳のニャンさんが歌ってくれた曲です。

ホーチミン師という歌です。
外からずっと聞こえてきます。
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kobayashi さんからのコメントはこちら

就活失敗して海外という事だけど、もう少しこの選択が一般的になっても良いかなと思う。

もちろんビザの関係から現地の人よりも高いスキルが必要だし、言語の壁もあるので、日本で仕事ない奴が海外で通用するのか?と言うのは一般論としては正しい。

とはいえ日本独特の文化や風習に合う合わない、というのがある。会社の雰囲気に馴染めず、ダメ社員と思われてた人が、他社に行ったら活躍した!というのと同じように、日本で鳴かず飛ばずな人が、意外と活躍するケースもある。


はい、仰るとおりです。
耳が痛いコメントです。


他の人から見れば私は日本で通用しなかった人間です。
そして、たぶん日本的経営に合わない人間です。
News Pics編集部の佐々木さんが特集記事で語っていた好き嫌いだと言われてしまっても言い訳できません。そして、私も食べず嫌いはいけないとコメント致しました。

https://newspicks.com/news/1133703?ref=user_326132

でも、でも、一つ言わせてください。
日本人だからといってなぜ日本のやり方にこだわらないといけないのでしょうか。
世界は広いんです。日本のやり方を求めながら、日本人ではないからできない、困っている。
そういう人が世界にはいるのではないでしょうか。

特殊なスキルや高い能力は必要ない、日本人が普通に仕事をすれば出る成果。
それを求めている人たちもいるのではないでしょうか。


日本人同士で仕事をする時に必要なのは成果物ではなく、人格とよく言われますが、この人格という中に国籍というのも含まれています。
日本人がアポを取るのと、日本語の上手なベトナム人がアポを取るのとでは獲得件数が異なります。
日本人が来てくれる、それだけで時間を取ってくれる人も多いです。
能力とはあまり関係がありません。

ただ、人格が育っていない私みたいな若い世代は成果にも拘らなければなりません。
その際、異文化コミュニケーションと交渉術、業務の知識、最後は馬力が必要となってきます。
こういう事について人材紹介会社や経験者は「即戦力」と表現します。

この点については機会があれば書かせていただきます。

私は、「能力が無ければ世界に出てもニーズが無い。」ではなく、「世界に出る事で自分の能力(短所を含め)が何なのかを知る事ができる。」、そういう考え方を先駆者の日本人が持たなければならないと思います。

それが新興国で仕事をする人間が若い世代に対して持つべき優しさだと思います。
若者が海外に出るという事はそれだけでリスクです。
成功する確率よりも失敗をする確立の方が大きい。
成功をしても数年で帰ってしまうのでは成功とはいえない。

新興国は平均年齢が若く、自分達と同世代の人間が多くいます。
そういう社会において自分を含め、失敗をする優しさがあってもいいのではないでしょうか。

この辺りは起業と同じだと思います。

「20代の実務経験も少ない人間が起業しても成功なんてしない」
「そんなビジネスモデルは駄目だ」
「世の中の99%の人間がやらない。合理的に考えて不可能だ」

大事なのは一発目からの成功ではなく失敗を許容することです。
だから、若者は一回の失敗でくじけず、それを乗り越えて欲しいと思います。


若者が海外で成功するには失敗を許容する優しさと、成果に対する厳しいこだわり。
それが必要な事を理解して頂ければ幸いです。

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欄外編 「本日のベトナム美女」


こちらの美女のお名前はLinh Kett(リン・ケット)様。

ハノイの通りで"I'm a Vietnam. I love peace. If you like this, please hug me" (私はベトナム人です。平和な社会が大好きです。もしあなたも同じだったらハグをしてください)という横断幕を掲げ、フリーハグをされていたようです。
日本だとあまり珍しくない光景ですが、ほっぺたに国旗のペイント、シャツも国旗。


日本だと確実に右翼と言われますが、国が変わればとても新鮮で気持ちのいい愛国的行動です。
ベトナムは社会主義国です。
しかし、こういう美女の行動からもこの国が少しづつ変わろうとしているのが見えてきます。
この笑顔でハグしてくださいと言われれば何度でもしたくなりますね。

参照先 「vitalk.vn」 様

http://vitalk.vn/threads/nu-sinh-ha-noi-xinh-dep-va-clip-toi-yeu-hoa-binh-cuc-y-nghia.1270539/


2015/09/04
一部加筆、修正を致しました。
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2015年9月1日火曜日

海外に出るという事 -現地を知る-

どうもNews Picksの不良野良猫ユーザーの藤田です。

昨日の第一回は1日で1000ビューという大盛況で大変嬉しく思いつつ、皆さんに役立つ情報を発信しなければ見捨てられちゃうのも早いだろうなと感じております。
その為、出来る限りコメント欄に連動したポストをしていきたいと思います。
鉄は熱いうちに打て!が合言葉です。

今回は小室勝裕さんとkobayashi junyaさんのコメントにお応えいたします。

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小室さんのコメントはこちら(一部抜粋)

ベトナムに行くと私の親の世代(昭和の前半)が語る日本の街中のような人の優しさがあるんですよね。行きたいけどなかなか機会を作れなくて残念。それだけに是非次はハノイらしさのある話も読みたいです。


このご質問にお応えする際にお見せしたいのは一枚の写真です。
ジャーナリスト界のアカデミー賞であるピューリッツア賞を受賞した沢田教一氏の撮影した「安全への逃避」です。

(ナショジオ様より参照)



ベトナムは1国2制度と言っても過言ではないくらいハノイとホーチミンで異なる文化を持っています。
物流や貿易の際に重要な通関制度、行政の対応、町の雰囲気など、全てが異なります。

在越の方はハノイは東京、ホーチミンは大阪と喩えられますが、町の雰囲気や気質、気候という点ではハノイは秋田か仙台といった方がしっくりきます。
こういう違いが出てくるのは気候の違いも多いにあるのですが、一番は過去の歴史に関係してくると私は考えています。


ベトナム(漢字表記:越南国)の歴史を語る際は秦の始皇帝の時代まで遡らなければなりません。
この時代に南越という地域が現在の中国南部からベトナム北部にかけ存在していたためです。
国の起こりの時点で中国との関係が存在しています。


中国による支配は漢の時代(紀元前202年ごろ)から始まり、この後1000年に渡る中国による支配・戦いをベトナムは経験します。

この1000年の間にベトナムでは数多くの英雄が生まれ、その名は町の通りにの名前になり残っています。
有名なところを挙げるとHai Ba Trung(ハイ・バー・チュン 二人のチュン夫人という意味)、Trang Huong Dao(チャン・フン・ダオ 陳 興道)、Ba Trieu(バー・チウ チウ夫人)、Ly Thuong Kiet(リ・トン・キエト 李 常傑)などなど、他にも中国に対抗し人々を救い、消えていきました。

ベトナムは反骨の国だといわれますが、まさに反骨精神を持つ人々がベトナムの歴史を作り、今でも通りでその名前を見る事ができます。
ベトナムに来られた際は通りの名前から、その向こうに広がるベトナムの歴史に思いを馳せるのも一興です。

(ここまでは、小倉貞男著「物語ヴェトナムの歴史 一億人のダイナミズム」を参照しております)


なお、最新の英雄はVo Nguyen Giap将軍(ヴォー・グエン・ザップ 武 元甲)で、この方は第二次大戦時に再植民地化を狙って侵攻してきたフランス軍をディビエンフーの戦いで撃退した、ホー・チミンにならぶ英雄です。
いまは日本のODAで出来たノイバイ空港からハノイ市内に繋がる新しい国道にGiap将軍の名前が付けられています。


さて、中国との歴史について書きましたが、これがどうハノイとホーチミンの違いに繋がるのか。

それは17世紀末にいたるまでホー・チミンを含むメコンデルタ地帯はベトナムではなくカンボジアに属していた為、ハノイとは別の国家であったところに所以します。

ベトナムの歴史上、17世紀末まではベトナムにはいくつかの都市国家といえる小さな集団が群雄割拠しており、それぞれが異なるアイデンティティを持っていたと思われます。
つまり歴史的に見ればハノイとホーチミンは別の国家であったのです。

そしてこれはあのベトナム戦争において決定的となってしまいます。

ご存知の通り、ベトナム戦争はホーチミン(旧サイゴン)に拠点を置く国連軍と、ハノイに拠点を置くホー・チミン率いるベトミンによる戦争です。

あまり知られていませんがベトナム戦争にも旧日本帝国軍は関与をしています。
日本敗戦後のベトナム独立、フランスの再侵攻、冷戦、フランス軍の停戦、アメリカの介入、南北分断、南ベトナム解放戦線(ベトミン)と歴史は紡がれ、朝鮮戦争の構図と同じく南と北で同じベトナム人同士の長い戦争に突入します。

この戦争にベトミンが勝利(国連軍の撤退)したのは1975年。
いまからほんの40年前の事です。

この戦争はご存知の通り、多くの犠牲者を生み、いまもその後遺症は残っています。

その後遺症の一つがハノイとホーチミンの不信、省ごとによる不信感などがあり、最初に述べた制度上の違いなどを生み出していると私は考えています。



戦争により多くのものを失ったベトナムですが、持ち前の反骨精神は健在でいまも健気に、そして活発に日々をすごしています。
その姿はまさに日本の戦後と重なり、路線バスなどに乗るとALWAYS 3丁目の夕日のような空気が流れます。(私はゆとり世代です)

人の優しさとうっとおしいくらいの世話焼き、素朴さはハノイの人々の気質であり、ホーチミンはバンコクのような明るさと良い意味でののんきに癒されます。

ベトナムの歴史や、どこか緊張した空気感はひどい戦争と、そこからの復興の歴史に重なり、それが日本人にはどこか懐かしく感じるのだと思います。


ベトナムの昔懐かしい雰囲気を味わう際はバイクで田舎町を走るのがお勧めです。
また日本との繋がりが深い、ホイアンの日本人街へ行かれるのもいいですよ。


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今回はこれまでです。
明日、kobayashiさんのコメントへのお応えをさせていただきます。



欄外編「ベトナム美女」 Dear Mr.独苦田亜


今回のベトナム美女はNgố Thư(ゴー・トゥー)さん。
ハノイ近郊のHai Duong省にお住まいです。
この美女はベトナムのネットアイドル様です。
彼女のface bookページは46万人に達し、どのポストもいいねが100万越えをします。
お世辞にも写真の画質はよくなく、背景も綺麗ではないのですが、人気があるのは彼女の美貌ゆえでしょう。

Ngố Thư さんface bookページ
https://www.facebook.com/profile.php?id=100005677871213&fref=ts





参照させて頂いたサイト
「親日国タイの反応」様
http://thailog.net/2015/07/04/231290/

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