どうもNews Picksの不良野良猫ユーザーの藤田です。
昨日の第一回は1日で1000ビューという大盛況で大変嬉しく思いつつ、皆さんに役立つ情報を発信しなければ見捨てられちゃうのも早いだろうなと感じております。
その為、出来る限りコメント欄に連動したポストをしていきたいと思います。
鉄は熱いうちに打て!が合言葉です。
今回は小室勝裕さんとkobayashi junyaさんのコメントにお応えいたします。
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小室さんのコメントはこちら(一部抜粋)
「ベトナムに行くと私の親の世代(昭和の前半)が語る日本の街中のような人の優しさがあるんですよね。行きたいけどなかなか機会を作れなくて残念。それだけに是非次はハノイらしさのある話も読みたいです。」
このご質問にお応えする際にお見せしたいのは一枚の写真です。
ジャーナリスト界のアカデミー賞であるピューリッツア賞を受賞した沢田教一氏の撮影した「安全への逃避」です。
(ナショジオ様より参照)
ベトナムは1国2制度と言っても過言ではないくらいハノイとホーチミンで異なる文化を持っています。
物流や貿易の際に重要な通関制度、行政の対応、町の雰囲気など、全てが異なります。
在越の方はハノイは東京、ホーチミンは大阪と喩えられますが、町の雰囲気や気質、気候という点ではハノイは秋田か仙台といった方がしっくりきます。
こういう違いが出てくるのは気候の違いも多いにあるのですが、一番は過去の歴史に関係してくると私は考えています。
ベトナム(漢字表記:越南国)の歴史を語る際は秦の始皇帝の時代まで遡らなければなりません。
この時代に南越という地域が現在の中国南部からベトナム北部にかけ存在していたためです。
国の起こりの時点で中国との関係が存在しています。
中国による支配は漢の時代(紀元前202年ごろ)から始まり、この後1000年に渡る中国による支配・戦いをベトナムは経験します。
この1000年の間にベトナムでは数多くの英雄が生まれ、その名は町の通りにの名前になり残っています。
有名なところを挙げるとHai Ba Trung(ハイ・バー・チュン 二人のチュン夫人という意味)、Trang Huong Dao(チャン・フン・ダオ 陳 興道)、Ba Trieu(バー・チウ チウ夫人)、Ly Thuong Kiet(リ・トン・キエト 李 常傑)などなど、他にも中国に対抗し人々を救い、消えていきました。
ベトナムは反骨の国だといわれますが、まさに反骨精神を持つ人々がベトナムの歴史を作り、今でも通りでその名前を見る事ができます。
ベトナムに来られた際は通りの名前から、その向こうに広がるベトナムの歴史に思いを馳せるのも一興です。
(ここまでは、小倉貞男著「物語ヴェトナムの歴史 一億人のダイナミズム」を参照しております)
なお、最新の英雄はVo Nguyen Giap将軍(ヴォー・グエン・ザップ 武 元甲)で、この方は第二次大戦時に再植民地化を狙って侵攻してきたフランス軍をディビエンフーの戦いで撃退した、ホー・チミンにならぶ英雄です。
いまは日本のODAで出来たノイバイ空港からハノイ市内に繋がる新しい国道にGiap将軍の名前が付けられています。
さて、中国との歴史について書きましたが、これがどうハノイとホーチミンの違いに繋がるのか。
それは17世紀末にいたるまでホー・チミンを含むメコンデルタ地帯はベトナムではなくカンボジアに属していた為、ハノイとは別の国家であったところに所以します。
ベトナムの歴史上、17世紀末まではベトナムにはいくつかの都市国家といえる小さな集団が群雄割拠しており、それぞれが異なるアイデンティティを持っていたと思われます。
つまり歴史的に見ればハノイとホーチミンは別の国家であったのです。
そしてこれはあのベトナム戦争において決定的となってしまいます。
ご存知の通り、ベトナム戦争はホーチミン(旧サイゴン)に拠点を置く国連軍と、ハノイに拠点を置くホー・チミン率いるベトミンによる戦争です。
あまり知られていませんがベトナム戦争にも旧日本帝国軍は関与をしています。
日本敗戦後のベトナム独立、フランスの再侵攻、冷戦、フランス軍の停戦、アメリカの介入、南北分断、南ベトナム解放戦線(ベトミン)と歴史は紡がれ、朝鮮戦争の構図と同じく南と北で同じベトナム人同士の長い戦争に突入します。
この戦争にベトミンが勝利(国連軍の撤退)したのは1975年。
いまからほんの40年前の事です。
この戦争はご存知の通り、多くの犠牲者を生み、いまもその後遺症は残っています。
その後遺症の一つがハノイとホーチミンの不信、省ごとによる不信感などがあり、最初に述べた制度上の違いなどを生み出していると私は考えています。
戦争により多くのものを失ったベトナムですが、持ち前の反骨精神は健在でいまも健気に、そして活発に日々をすごしています。
その姿はまさに日本の戦後と重なり、路線バスなどに乗るとALWAYS 3丁目の夕日のような空気が流れます。(私はゆとり世代です)
人の優しさとうっとおしいくらいの世話焼き、素朴さはハノイの人々の気質であり、ホーチミンはバンコクのような明るさと良い意味でののんきに癒されます。
ベトナムの歴史や、どこか緊張した空気感はひどい戦争と、そこからの復興の歴史に重なり、それが日本人にはどこか懐かしく感じるのだと思います。
ベトナムの昔懐かしい雰囲気を味わう際はバイクで田舎町を走るのがお勧めです。
また日本との繋がりが深い、ホイアンの日本人街へ行かれるのもいいですよ。
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今回はこれまでです。
明日、kobayashiさんのコメントへのお応えをさせていただきます。
欄外編「ベトナム美女」 Dear Mr.独苦田亜
今回のベトナム美女はNgố Thư(ゴー・トゥー)さん。
ハノイ近郊のHai Duong省にお住まいです。
この美女はベトナムのネットアイドル様です。
彼女のface bookページは46万人に達し、どのポストもいいねが100万越えをします。
お世辞にも写真の画質はよくなく、背景も綺麗ではないのですが、人気があるのは彼女の美貌ゆえでしょう。
Ngố Thư さんface bookページ
https://www.facebook.com/profile.php?id=100005677871213&fref=ts
参照させて頂いたサイト
「親日国タイの反応」様
http://thailog.net/2015/07/04/231290/
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