2016年1月22日金曜日

kaikei氏への寄稿記事 ~貧困解決に向けて 補足 後半部分 の前にちょっと休憩 ~

おはよう御座います。ハノイの野良猫です。

昨日の前半部分の補足で納得いただけた方も多く、嬉しかったです。
最初からあのように書いていれば良かったのかなとも感じましたが、そうするとワードで20枚くらいはいくので削り寄稿いたしました。
ちなみに寄稿した記事で10枚分ありました。

さて本日も後半部分を補足していきたいのですが、正直迷っています。
前半部分だけで後半部分で伝えたかった事が十分伝わった気がするからです。
これ以上書くのは蛇足かな、と思います。

今後の展開としては


  1. アマルティア・センの潜在能力アプローチについて触れていく
  2. 所得格差の解決に向けて国の制度に触れていく
  3. 教育の問題に触れていく 
  4. クオリティ・オブライフの議論


があるのですがどれがいいでしょうか。


それぞれの概略を書きます。


-----------------------------------------------------------------------------

①:アマルティア・センの潜在能力アプローチ



アマルティア・センという人はインド人の経済学者です。
経済学者がなぜ貧困問題?という人もいるかと思いますが、センの専門分野は開発経済学という分野になります。
グローバル・イシュー(地球規模の問題)の解決に向けて経済学的アプローチをする分野です。

さて、潜在能力アプローチとはなんぞやなんですが、これも外務省やJICAから情報が出ています。実は国連などで日本が積極的に主導している方針なんです。

関係する記事を引用します。


「持続可能な開発目標」(SDGs)の国際政治-「貧困削減」から「貧困撲滅」への転換が意味するもの
筆者:六辻彰二  | 国際政治学者

http://bylines.news.yahoo.co.jp/mutsujishoji/20151003-00050123/


※長くて難しい話です。抽象的です。

記事内の用語解説:


  • SDGs: Sustainable Development Goal s(持続可能な開発目標) の略で日本が主導したMDGs(ミレニアム開発目標)の後継になります。



  • UNDP: United Nations Development Programme(国連開発計画)の略で世界の貧困削減の主導をしている機関です。                                                                                        ホームページ http://www.jp.undp.org/content/tokyo/ja/home/ourwork/overview/ 



  • 開発:Developmentの日本語訳で「発展」とも訳されますが、日本では開発という言葉が良く使われています。良い状態にする事です。ちなみに開発という言葉は仏教用語です。



基礎的社会サービス重視の思想

基礎的社会サービスそれ自体は、所得向上に必ずしも繋がりません。これが重視されたことは、貧困削減では「低所得」そのものだけが問題にされたわけでなく、さらに「所得向上」が開発の唯一の目標と捉えられていたわけでないことを象徴します。つまり、貧困削減の路線を推し進めた主体の一つであるUNDPの標語、‘Development is freedom’が示すように、「貧困削減」では「個々人が自由になること」が開発の究極目標とされていたといえます。
「貧困削減」路線の定着に大きな影響を及ぼしたのは、アジア人初のノーベル経済学賞受賞者で、インド出身のアマルティア・センの理論と思想でした。それまでの開発経済学では、「成長」に関する理論はあっても、「貧困」に関する理論は稀でした。センはアジアやアフリカの実地調査を重ね、「貧困とは何か」を突き詰めていくなかで、貧困を「潜在能力」(capability)と「権原」(entitlement)の概念から説明しました。
権原とは、「ある個人が支配することのできる一連の選択的な財の集まり」、つまり「ある人が消費を選択することができる財の集まり」です。ひらたく言えば、手元にある、自分のために使えるもの一切が権原といえます。一方、潜在能力とは、「ある人が経済的、社会的、および個人の資質の下で達成することができる、さまざまな『であること』と『すること』を代表する、一連の選択的な機能の集まり」と定義されます。これまたかなり圧縮していえば、個々人が「何をなすか」といえます。
よく用いられる例でいえば、一般的に妊娠している女性は、安全な出産という潜在能力を実現するために、栄養や医療などにおいて、それ以外の人々より多くの権原を必要とします。従来の「所得の向上」を開発の目標とする発想では、権原の拡大が目指されていたといえます。しかし、先の例で言えば、妊婦にとって重要度が高いのは「安全に出産すること」であり、栄養、医療、あるいはそれらのための資金などは、そのための手段に他なりません。この観点からすると、潜在能力と権原を比較した場合、優先されるべきは前者となります。つまり、貧困とは基礎的な潜在能力がはく奪されている状態であり、開発とは潜在能力を充分に発展させることといえます。
個人が自らの夢や可能性に向かって自らの将来を切り開けるための手段として財があるのであって、逆ではありません。これは、「なぜ低所得はいけないか」という、それまで物質的な充足そのものを目的化する立場からほぼ不問に付されていた問いに対して、「それは個々人が自らの生きる道を選び取れるチャンスの幅を狭めるから」という規範的な解答を与えたといえます。
だとすると、経済成長や所得向上は、「個人の可能性の幅を広げる」ための条件ではありますが、それ自体が目標ではなくなります。むしろ、「開発」で重視されるべきは、個々人が自らの潜在能力を発揮しやすい環境を作り出すこととなります。この観点から、1990年代半ば以降の開発協力では、個人の可能性を広げる前提として、教育や医療が重視されるようになったのです。

貧困解決の際に潜在能力を十分に発揮できる機会の平等が重要だという考え方です。
だからこそセンは教育の重要性を強く主張し、国際機関でもそのような考えが広まっていきました。

日本国内の貧困問題でも潜在能力を発揮できる環境整備という視点が必要かもしれません。
ちなみにこの議論はかなり抽象的です。
噛み砕くには私も一度勉強しなおさないといけません。

------------------------------------------------------------------
②:国の制度について触れていく

kaikei氏に寄稿した記事の後半部分でも書きましたが生活保護の問題です。
生活保護を受けにくくしている要因があるのではないかという事です。

生活保護は必要な人には必要な施策です。
また、生活保護を判定する際の指針と相対的貧困率の基準が近いという話があります。
その為、生活保護を適切に運用できれば相対的貧困の緩和ができるのではないかという趣旨です。


------------------------------------------------------------------
③:教育の問題について触れていく

①にも絡んできます。
子どもへの教育で最も重要な事は家庭での自習・復習です。
それが出来る子と出来ない子とで大きな学力の差が出てきます。
家庭の事情で出来ない子には自習や復習をする場所を提供する事が必要です。
また、日本では実際にそのような活動をしているNPOがあります。

世界に目を向ければ識字率が非常に低い国もあります。
教育の代わりに記号を使って意味を伝える取り組みをしている国もあります。

------------------------------------------------------------------
④:クオリティ・オブ・ライフの議論

Quolity Of Life(幸せの本質)とは何か?という議論です。
経済的に貧困であっても本人が幸せなら支援は必要ないのでは無いか?という事です。
NPのコメント欄でもそのようなコメントが多かったです。

世界に目を向けるとブータンの国民総幸福量という統計が有名です。
GNPやGDPに代わる精神的な幸せを国家統計として採用したものです。

ただこれにも批判があります。
いわゆる文化相対主義ではないかという事です。
要は人間にとって本質的に貧困は悪ではないのかという事です。
悪はどのような文化的背景があっても、根絶されなければならないっていう批判です。

-----------------------------------------------------------------


貧困の解決の議論はすればするほど難しくなります。
ただ私は④のクオリティオブライフの議論が最も根本的な議論と思います。

あなたにとって幸せとは何ですか?
子どもにとって幸せとは何ですか?



以上、ちょっと休憩でした。
ありがとう御座いました。



(休憩になってねーよ。)




0 コメント:

コメントを投稿